仏壇を買ってよかったな、と思っている。

3年前、義母(夫の母)が亡くなった。

義父は夫が高校生のときに亡くなっており、義姉は実家の近くとはいえ結婚して家庭があるので、古い実家が完全に空き家になってしまった。

実家処分問題については本が1冊書けるほどエピソードがあるのだけれど、今回の本題は「仏壇」。

夫も義父も長男だったので、実家には仏壇があった。
仏壇屋さんに頼んで供養的なことをして引き取ってもらったものの、過去帳(浄土真宗なので故人の名前を書いたノートのようなものがある)や位牌なんかは残るわけで、それを押し入れにしまっておくのも落ち着かない。
というか、実家を処分したことは親戚中が知っているので、「仏壇に関しては安心してね」というアピールがいる。

半分仕方なく、仏壇屋でいちばん安かった19800円の仏壇を買った。
送料が1000円すると言われたので電車で持って帰り、安い賃貸に仏間はないので子ども用のタンスの上に置いた。
それほど信心深くもなく、どうにもズボラなので、水もごはんも思い出したときだけ。
仏壇のごはんがカラカラになっていることも珍しくないという情けない状況が続いている。

でも、それでも、仏壇を買ってよかったとしみじみと思っている。

いま、子どもたちは4歳と7歳。
特に4歳の息子は義母のことを覚えているはずもないのに、息子の会話には頻繁に義母が登場する。
散歩していて石や葉っぱといったガラクタを拾いたくなったり、花を摘みたくなったりすると、「ばばにあげたい」と言う。
そう言えば断られないと思ってのことだとしても、亡き母が会話に登場するのは夫にとっては嬉しいことらしい。
7歳の娘もごくたまに、「ばばに会いたいなあ」と、しくしく泣きだすことがある。
※年長の従姉(義姉の娘)が「ばば」と言っていたので、うちの子たちも「ばば」と言う。

小さな黒い箱の存在が、子どもたちの心に祖母の面影を刻んでいる。
とりあえず押し入れにと過去帳や写真をしまいこんでいたら、子どもたちが亡き祖母を親しく思うことはなかっただろう。
石や葉っぱにまみれた安物の仏壇でちょっと申し訳ないと思いながらも、子どもたちが亡き人を感じられる場所がリビングの隅にあってよかったと思っている。