何者にもなれない俺たちは何になれたのだろうか。
何者かになりたかった青二才の頃から変わらないまま。
何かを目指すことに疲れて足を止めては現状を嘆き、自己が承認されることを求めて千鳥足で歩く。
マンガ「3月のライオン」では、実力を上げていく棋士たちの努力を「底の見えない大穴へ何度も身投げすることだ」と表現する。
幾度も経験しているが故にそのつらさは体に刻まれ、それでも底なしの闇へ体を飛び込ませる。
多くの人が身投げに耐えかねて足踏みをするところで、天才たちは一寸の躊躇もない。
「3月のライオン」では天才が天才である所以を表現しながら、同時に大衆が凡人である所以も浮き彫りにする。
しかし同作ではこのような表現もしている。
「先を行く人が自分から遥か遠くにいたとしても、それが歩みを止める理由にはならない。」
何者にもなれず、何者にもなれないことを受け入れることさえできない俺たちは、もがき苦しむしか道はないのだろうか。
そんなことはないはずだと足掻くことも、またもがいているのだ。
人生とは皮肉なものだと思わずにはいられない。